事故を防ぐための解説・提案

近年の裁判例から、責任の有無につき判断が分かれた根拠を整理し、建物の設計・管理に関わる者が考慮すべきポイントについて解説しています。

建物内での事故に係る最近の裁判例の概要と留意点
弁護士 佐藤貴美

1. はじめに~建物内の事故に係る最近の裁判例の傾向

最近の建物内での事故に係る裁判例を見てみると、不特定多数の者が利用する施設等における転倒事故や転落事故に対し、被害者が施設等の所有者や経営者に工作物責任や安全配慮義務違反を問うものが少なくない(※1)。建物の設計、施工や管理に際しては、建物内の設備等の安全性の確保が、訴訟リスクを回避するという観点からもますます重要となってきていると言えよう。

このような傾向となっている要因は必ずしも明らかではないが、国民の権利意識の向上や裁判制度へのアクセスの向上のほか、建物事故予防ナレッジベースのような建物内での事故に係る裁判例のデータベースの整備により、関係者が裁判情報に容易にアクセスできるようになったことも要因の一つとなっているものと考えられる。しかし、だからといって当該データベース等の整備につき否定的に解すべきではない。データベースの有無にかかわらず、事故が発生すれば最終的には訴訟による解決が図られることに変わりはないし、建物の設計・施工・管理に当たる者が実際の事故に係る裁判例につき情報を共有し、必要な対策を講じることによって、建物内での事故による被害の発生の防止し、設計施工者等側の訴訟リスク等を軽減することができるなど、そのメリットも極めて大きいところである。

実際、今回建物事故予防ナレッジベースに掲載された裁判例を見てみると、事故が発生したからといって、当然に建物等を設置する立場にある者(設計者や施工者、所有者)や建物等を管理する立場にある者(店舗・ホテル経営者等)の責任が認められているわけではなく、設計・施工・管理において適切な対応を講じていることにより、これらの者の責任が否定されるケースも少なくないことに気づく。

建物内での事故に係る裁判例で示された、建物の設置・管理に当たる者らの責任の有無につき判断が分かれた根拠を整理し、これを参考に適切に対応をしていれば、訴訟リスク等を過度に恐れる必要はないと言えよう。本稿は、このような視点に立ち、今回建物事故予防ナレッジベースに掲載された裁判例の概要を紹介しながら、建物や設備の設置・管理に当たる者が考慮すべきポイントを整理するものである。

※1 2023年度に新たに建物事故予防ナレッジベースに収録された28裁判例では、高所からの墜落事故が3例、階段での転落事故が5例、転倒事故が19例、ぶつかり事故が1例となっている。また、事故発生現場別では、スーパーマーケット内での事故が6例、ホテル等宿泊施設内での事故が7例、飲食店内での事故が5例などとなっている。

2. 建物内の設備等の法令等への適合性

建物内の設備等やその設置方法等は、当然のことではあるが、法令(条例等を含む)に適合していることが必要である。

例えば、大規模店舗施設等の建物出入口付近に設置されたスロープ(傾斜路)で来店者が転倒した事故について、東京高裁平成24年6月12日判決(裁判例①)は、当該スロープの勾配(12.5%程度)が条例及び規則に定める基準(一般都市施設の屋外の傾斜路の勾配は8.3%以下であることが必要)に違反し、かつ、スロープに設置されていたタイルは勾配部の位置、形状等によってはメーカー仕様に違反する余地が残ると指摘し、建物出入口に設置されたスロープとしては通常有すべき安全性を欠くとして店舗経営者の工作物責任を認めた。

その一方で、同様のスロープでの転倒事故につき、東京地裁平成31年1月17日判決(裁判例②)は、当該スロープの勾配が10%から12.5%の範囲内であって建築基準法施行令に適合していること(※2)(なお本件では裁判例①の事案のような条例等の適用はない)、C.S.R.の数値は関係法令の定める基準に照らし転倒事故を生じさせる危険性が特別大きいものとは認められないことを指摘して、事故当時に当該スロープの表面が滑りやすい状況であったなどの特段の事情のない本件では、店舗経営者には、事故発生は予見可能であったとはいえず、安全配慮義務違反を認めることはできないとしている。

※2 なお、当該スロープには、高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律施行令が定める基準に適合しない部分も見受けられたが、裁判所はこの点について、そもそも本件店舗には同施行令は適用されないし、また、同法の趣旨等に鑑みれば同施行令に違反することから直ちに安全配慮義務の存在及びその違反が認められると解することはできないとしている。したがって、法令の適用の有無とあわせ、適用される法令の趣旨等も踏まえる必要があることに留意されたい(下記4も参照)。

また、ホテルの宿泊客が建物内の客室に戻るために浴場出入口横の階段から転落した事故につき、東京地裁令和3年5月20日判決(裁判例③)は、事故現場の階段の幅、蹴上げ及び踏面の寸法や手すりの位置は建築基準法・同法施行令所定の基準に適合しており、直ちに階段として通常有すべき安全性を欠いているとは認め難いなどとして、ホテル経営者の工作物責任を否定した。

さらに、マジックバーの来店者が店内でのマジックショーに参加し、ステージに上がる階段を踏み外して転落した事故について、東京地裁平成29年1月20日判決(裁判例④)は、演者が客に協力者を求める場合には、演者と客がすべてステージに上がったことを確認してから客席側の照明を暗くする操作をしていることとあわせ、当該階段付近の明るさは61ルクスから76ルクス程度であって日本工業規格(JIS)の照明基準(遊興飲食店の階段における維持照度の推奨値は150ルクス、最小値は40ルクス)に適合していることから、事故の際に足下が見えずに階段から足を踏み外して転落した被害者の主張は採用できないとして、店舗経営者の安全配慮義務違反を認めなかったところである。

3. 業界団体内で定めた基準やメーカーの仕様等への適合性

建物内の設備や資材、設置方法等については、当該設備関係等の業界団体内での基準等やメーカーの仕様等への適合性の有無が、責任の有無の判断の一つのポイントとなることがある。

例えば、裁判例①では、スロープに設置されていたタイルがメーカー仕様に違反する余地が残ることが、店舗経営者の工作物責任が認められる根拠の一つとしている。

一方、店舗の来客が退店時に自動ドアに衝突して負傷した事故につき、東京地裁平成25年6月3日判決(裁判例⑤)は、本件自動ドアの製造会社は自動ドア業界の団体の定めた基準に則った製品を制作し設置されたことから製造会社の製造物責任を認めず、また、自動ドアを設置していた店舗についても、自動ドアの業界団体が定めた基準に則って起動センサ等の設備を備えた自動ドアが設置されていたこと、店舗経営者は製造会社が推奨する年2回の点検を実施していたこと、その点検の際には適宜調整や部品交換も行われていたことなどから、店舗経営者の工作物責任を否定している。

4. 建物や設備等に関しては、法令等への適合性とあわせ、当該設備等が本来どのような目的でどのように使用されるのかを踏まえた安全性が確保されている必要がある。

建物や設備等に関しては、法令等への適合性とあわせ、当該設備等が本来どのような目的でどのように使用されるのかを踏まえた安全性が確保されている必要がある。

例えば、来店者が店舗内の男女兼用トイレ内の約10cmの段差につまずいて転倒した事故につき、横浜地裁令和4年18日判決(裁判例⑥)は、老若男女が訪れる施設内のトイレであること、トイレの構造や利用者の心理等の要因により利用者が段差を認識できない可能性が認められることから、当該店舗がバリアフリー法等の適用がないものであったとしても、トイレの利用者が段差で転倒し傷害を負う結果とならないよう、トイレ扉等本件トイレ利用者の目に入る場所に本件段差についての注意書きを張ったりするなどすべきであるとして店舗経営者の工作物責任を認めた。

この判決は、直接には法令の適用がないもの(バリアフリー法の適用外)であるからといって、直ちに瑕疵がないとするのではなく、老若男女が利用する店舗内のトイレという本来の用法に応じた安全性の有無を検討していることに留意されたい。

また、宿泊施設の部屋に隣接するバルコニーには、通常時の利用は想定せずに、緊急時の避難等のためだけに設置しているケースがあるが、日常的に使用されないからといって安全性に配慮しなくてよいことにはならず、「非常時に宿泊客が避難場所又は避難経路として利用する」という用法に照らして、宿泊客が墜落する事態を防ぐための通常有すべき安全性を確保しておく必要がある。

例えば、ホテルの宿泊客がホテルのバルコニーから墜落して死亡した事故に関し、東京地裁令和5年2月27日判決(裁判例⑦)は、バルコニーに設置されている柵の高さが72cmにとどまり、建築基準法施行令126条1項所定の柵の高さ(1.1m)を確保していないこと、これに代替し得る墜落防止設備を備えるなどの特段の事情がないことを指摘し、当該バルコニーは、非常時に宿泊客が避難場所又は避難経路として利用するという本来の用法に照らして、その構造上、宿泊客が墜落する事態を防ぐための通常有すべき安全性を欠くとして、ホテル経営者の工作物責任を認めた。

一方、保養所の宿泊客が客室のバルコニーの土台から手すりまでの間に存する空洞部分(高さ約87センチメートル、幅約1.5メートル)から墜落した事故につき、東京地裁平成29年8月28日判決(裁判例⑧)は、バルコニーの手摺は床から高さ約1.2メートルの位置にあって建築基準法関係法令の規定に適合していること、消防立入検査において特段の指摘を受けていなかったこと、大人で最大12名が一時的に立ち入る場所として十分な広さがあることを指摘して、「避難用」というバルコニーの用法に照らし特段墜落の危険を有するものではないとした。そのうえで、本件事故は、酒気を帯びた客が、空洞部分にガラス板があるものと軽信し存在しないガラス板に手をついて立ち上がろうとして生じたものであると認定し、宿泊所経営者は、当該状況による事故の発生まで予測可能であったとは認められないとして、工作物責任が否定したところである。

また、避難設備関係では、映画館の非常通路内の階段で来館者が転落して死亡した事故に係る東京地裁平成31年3月27日判決(裁判例⑨)でも、非常通路の利用形態(使用する際には映画館の従業員による避難誘導が想定されていたことなど)からすれば、その設置保存の瑕疵はなく、映画館の管理者の安全配慮義務違反も認めることはできないとしている。

このように、いかなる用法であれ、建物の施設設備については、その本来の使われ方にしたがった安全性が確保された設計等となっているかが責任の有無に係る判断の大きなポイントとされることに留意されたい。

5. 建物や設備等の日常的な管理の実施~定期的な清掃や巡回

建物内での事故の防止のためには、建物や設備等の設計施工時における対応だけではなく、建物等の管理者による適切な管理が行われる必要がある。この場合の管理には、設備等の定期的な点検や修繕だけではなく、日常的な管理(定期的な清掃、事故リスクの早期発見のための店員の巡回等)の在り方も問題となる。

最近は、スーパーマーケットの利用客が店舗内で転倒した事故につき、店舗経営者等に責任を問う裁判例が少なくない。

スーパーマーケットは不特定多数の顧客が訪れ、陳列された商品を販売する施設であることから、経営者は、不特定多数の者が様々な履物を履いて本件店舗を訪れることなどを前提に、工作物の保存に配慮し、顧客の安全を図るべき安全配慮義務があることが基本となる(上記4参照)。

そのうえで、京都地裁令和3年12月10日判決(裁判例⑩)は、事故現場に用いられていた床材が水に濡れるとC.S.R値が相応に小さくなる(滑りやすくなる)素材であったことから、清掃員に速やかに乾拭きを行うなどして床面の水分をふき取らせたり、周囲の顧客に床面が濡れていることを伝えて近寄らないようにするなどの措置を講じなかったことは店舗経営者の過失に当たるとした。また、生鮮野菜売場の床が水浸しのまま放置されていたため足を滑らせて転倒した事故について、東京地裁令和3年7月28日判決(裁判例⑪)は、水漏れ範囲が通常の歩行であっても転倒の危険が生じ得る広さに及んでおり、その可能性を店舗経営者が認識していたにもかかわらず、一定時間の間隔で清掃等の転倒防止のための対応を採っていなかったとして、信義則上の安全管理義務違反を認めたところである。

その一方で、店舗内のレジ前通路前の床に落ちていた天ぷらを踏んで転倒した事故について、東京高裁令和3年8月4日判決(裁判例⑫)は、消費者庁が店舗内の転倒事故に関して発出した文書ではレジ付近の通路は落下物による転倒事故が発生しやすい場所としては挙げられていないこと、事故現場のレジ前通路に本件天ぷらのような商品を利用客が落とすことは通常想定し難いことなどを指摘して、店舗経営者には従業員を巡回させたりするなどの安全確認のための特段の措置を講じるべき法的義務はなく、また、店舗の設置・管理に瑕疵があると認めることはできないとした。

このように、建物等の管理に当たっては、建物内の設備の状況やその設置状況、利用状況などに応じた日常的な管理の在り方が責任の有無に係る判断の大きなポイントとなることに留意されたい。

6. 個別具体の利用の在り方に則した建物・設備等の管理

また、建物や設備等の安全確保のための管理は、個別具体の利用の在り方に則してなされる必要がある。

例えば、居酒屋の従業員が雨の日に居酒屋が入居するビルに設置された屋外階段で転落した事故につき、東京高裁令和4年6月29日判決(裁判例⑬)は、事故現場の階段は、屋外に設置された外階段で雨よけ等の屋根がなく雨に濡れる場所にあり、被害者の前任者なども同様に足を滑らせて転落していたことがあったことから、雨が降っていた事故当時、当該階段は客観的に従業員が安全に使用できる性状を欠いた状態にあり、また、居酒屋経営者も事故発生の危険性を客観的に予見し得たのであるから、従業員に対し注意を促したり階段に滑り止めの加工をしたりするなどの措置を講じるべきであったとして、居酒屋経営者の工作物責任及び安全配慮義務違反を認めたところである。

7. 利用者の属性に対する配慮

なお、建物や設備等の設計・施工・管理に当たっては、利用者の属性に応じた特別な安全確保のための配慮が必要とされることがある。

例えば、認知症対応型共同生活介護サービスを提供するグループホームの2階の居室の窓から地上に墜落した事故につき、東京地裁平成29年2月15日判決(裁判例⑭)は、以前から介護施設において認知症高齢者が帰宅願望によって窓から脱出を試みて墜落する事故が多数報告されていたことからすれば、当該事故を防止するために十分な措置を講じるべきであったところ、墜落があった窓は、ストッパーが窓の下側に中間止めの方法で設置されており、入居者の墜落事故を防止するための十分な窓の開放制限措置が講じられていたとはいえず、認知症対応型共同生活介護サービスを提供するグループホームとして通常有すべき安全性を欠いているとして、施設運営者の工作物責任を認めた。

ただし、特別な配慮を要する利用者であっても、設計・施工と管理の両面から総合的に安全確保に対する配慮がなされていれば、仮に事故が発生したとしても、法的責任までには至らない。

例えば、ホテルの宿泊客(車椅子生活)が、客室内で、車椅子を自ら操作してバスルームに移動しようとしたところ、バスルームと客室との間の仕切り部分の傾斜の影響を受けて転倒した事故につき、東京地裁令和4年3月3日判決(裁判例⑮)は、ホテルの運営者は宿泊契約に基づき車椅子利用者の安全に配慮すべき義務を負うが、事故現場の傾斜がバリアフリー法に定める基準に不適合であるとまでは認められないこと、当該傾斜とそれ以外の場所とは色彩上明確に区別されていること、事故があった客室で同種事故の前例があるとは認められないことなどから、宿泊契約に基づき、当該傾斜付近に傾斜の存在を知らせる掲示物を貼ったり、チェックイン時に当該傾斜の存在を説明するなどの注意喚起を行っていなかったことをもって、安全配慮義務違反とはならないとした。

また、温泉施設において高齢者が施設内の浴場の入口の8cmの高低差の段差で転倒した事故につき、旭川地裁平成30年11月29日判決(裁判例⑯)は、事故現場の床タイルは設置後約21年が経過しているが、ゴムマットを敷くなどをすべき義務が生じるほどすり減っていたと認めるに足りる証拠はないこと、浴場の入口側のスライドドアに「浴場内は、スベリますので、ご注意願います。」という横書きの掲示板を掲示していたことなどから、浴場施設経営者の安全配慮義務違反を否定している。

8. 事故発生後の対応①~事実関係の確認

以上のような様々な措置を講じていたとしても、事故の発生を完全に回避することはできない。そこで、仮に建物内で事故が生じたときは、事故現場の状況や事故発生時の状況、事故の目撃者の証言、被害者の主張などをよく確認することが大切である。万が一裁判で解決が図られることになったとしても、建物の設置保存に瑕疵があることや安全配慮義務違反の事実を被害者側で十分に証明できなかった場合や、被害者側の主張に対し従前から設備等の設置管理につき適切な対応を採っていたことなどを反論することができる場合には、責任は否定されることになる。

例えば、スーパーマーケット内での転倒事故につき、福岡高裁平成31年4月17日判決(裁判例⑰)は、被害者が水で床が濡れた原因として主張する製氷機は事故当時故障していなかったこと、事故当時店舗内は日頃より多くの客で混み合っていたにもかかわらず被害者以外に床が濡れていることを指摘した者や転倒した者がいなかったこと、事故の約2週間前に店舗内の床に滑りにくいコーティング剤を塗布したばかりであったことなどを指摘して、店舗の設置や保存に瑕疵があったとはいえないとした。

また、裁判例④では、照明操作の在り方や事故現場の実際の明るさなどから、事故の際に足下が見えずに階段から足を踏み外して転落した被害者の主張は採用できないとして、店舗経営者の責任を否定している。さらに、裁判例⑧でも、事故の態様が被害者側の想定外の行動に起因するものと認定して、宿泊所経営者の工作物責任を否定している。

9. 事故発生後の対応②~示談交渉・再発防止のための対応等

建物内で事故が生じたときは、被害者に対し、少なくとも道義的側面から金銭的な対応を図ることや、事故の再発防止のために必要な対応を採ることも重要である。

これらについては、当該行動が自らの過失等を認めたものと評価されかねないとして、否定的に解されることがある。しかし、事故が発生した場合に、被害者に対し慰謝等のために一定の対応をしたり、同様の事故が発生しないようにこれまで以上の安全対策を講じることは、法的責任の有無とは別に考えるべきものである。

例えば、飲食店の利用客が店舗内を歩行中に転倒した事故について、名古屋地裁平成30年11月27日判決(裁判例⑱)は、現場の床が特に滑りやすい状態で危険であったとはいえないとして店舗経営者の責任を否定したが、事故後に店舗経営者が、店舗の床に定期的にワックスを塗布することを決め、被害者に対しても飲食代金の免除、治療費及び交通費の負担並びに10~20万円の示談金の支払を申し入れてたことから、店舗経営者が過失を自認したと評価されるのではないかも争点となった。この点について裁判所は、事故が発生した以上これまで以上に店舗の安全性を確保するため床の管理体制を見直すことは不自然ではないし、過失の有無を問わず、代金を免除し、後日被害者から申入れのあった治療費及び交通費の負担を受け入れる旨述べることは利用客に対する配慮として十分あり得、訴訟前に紛争を早期解決するために過失の有無とは無関係に示談金の提供を申し入れることも何ら不自然ではないとして、これらの事実をもって、店舗経営者が過失を自認していたと解することはできないとしている。

なお、事故発生後にこれまで以上の安全対策を講じることについては、仮に当該事故に関して法的責任が問われなかったとしても、その後に特段の対応をとらずに再度同じ状況で事故が生じた場合には、「事故発生が予見可能であったにもかかわらず対応をしなかった」として、法的責任につながる可能性が高くなるという観点も重要となる(※3)。したがって、事故が発生したときは、法的責任の有無にかかわらず、当該事故の状況や原因を調査し、再度の事故が起こらないよう必要な対応を採ることが大切である。

※3 例えば裁判例⑬は、被害者の前任者なども同様に足を滑らせて転倒していたことを居酒屋経営者の工作物責任及び安全配慮義務違反を肯定する根拠の一つとし、裁判例⑯は、事故があった客室で同種事故の前例があるとは認められないことをホテル経営者の宿泊契約上の安全配慮義務違反を否定する根拠の一つとしている。また、同一箇所での事故の事案ではないが、裁判例⑭は、以前から介護施設において認知症高齢者が帰宅願望によって窓から脱出を試みて墜落する事故が多数報告されていたことを踏まえて、窓の開放制限措置の不備を瑕疵と認定している。

10. まとめ

以上のとおり、建物内での事故の発生を防止するとともに、万が一事故が発生した場合の法的リスクの減少回避を図るためには、設計・施工・管理において、以下の対応が大切となる。

  • ① 法令等に適合した建物・設備等の設計・施工
  • ② 業界団体内で定めた基準やメーカー仕様等に適合した設備等の設計・施工・管理
  • ③ 設備等の本来の用法に則した安全性確保のための設計・施工
  • ④ 日常的な管理の適切な実施~定期的な清掃や巡回
  • ⑤ 個別具体の利用の在り方に則した管理
  • ⑥ 利用者の属性に配慮した設計・施工・管理

また、万が一事故が発生した場合には、事実関係の確認・再発防止のための対応等を適切に実施することも大切である。

冒頭でも述べたとおり、最近は建物内での利用者の日常的な行動に伴う事故に係る訴訟が増えている傾向が見受けられるが、上記諸点を踏まえた対応を心掛けていれば、過度に訴訟リスクを恐れる必要はない。また、そもそも人が利用することを想定した建物や設備について、その安全性を確保することは、建物等を提供し利用するすべての関係者が最も基本に据えるべき視点であると言えよう。本稿が、建物等の設計・施工・管理に携わるすべての者において、上記諸点に配慮すべきこと及びその意義を再確認いただく機会となれば幸いである。


2024年2月